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東京地方裁判所 平成7年(ワ)22958号 判決

原告 X1

原告 X2

原告 X3

右訴訟代理人弁護士 伊藤伴子

被告 Y

右訴訟代理人弁護士 塩川治郎

主文

一  別紙保険目録記載の生命保険金請求権につき、原告X1が二分の一、同X2及び同X3が各四分の一の権利を有することを確認する。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第一事案の概要

一  争いのない事実

1  訴外Aは、昭和六三年四月二七日、訴外東邦生命保険相互会社との間で、別紙保険目録記載の生命保険契約を締結した。

Aは、平成七年五月一六日午後六時頃、脳底動脈瘤破裂によるクモ膜下出血に基づく溺水の吸引により死亡した。死亡時のAの年齢は五九歳であった。

原告らは、別紙相続関係図記載のとおりAの相続人である。

2  本件保険契約の保険金受取人である被告は、昭和六一年春頃、社交ダンスのサークルを通じてAと知り合い、その後まもなく情交関係を有するに至った。

昭和六二年一〇月一五日、Aは、原告らと同居していた練馬区〈省略〉の自宅を単身出て、横浜市〈以下省略〉に住むようになり、昭和六三年三月頃より被告も同棲し始めた。

被告は、夫である訴外Bが提起した東京家庭裁判所昭和六三年(家イ)第二六六四号夫婦関係調整事件において

(一) Aとの交際を直ちにやめ、今後同人との交際はもとより接触等も一切しないことを約束する。

(二) 夫とは当分別居する。

等の調停を昭和六三年七月二七日成立させながら、なおもAとの不倫関係を継続していたため、原告X1は、Aを相手として平成元年二月二八日横浜地方裁判所に対し、夫婦関係円満調整等調停事件(同裁判所平成元年(家イ)第四五四号事件)を提起した。これに対し、右調停事件の中で、Aは、原告X1との離婚及び被告との再婚を強く希望し、原告X1は、夫との夫婦円満を希望し、折り合いがつかず回を重ねたが、やがてAより突然夫婦仲を戻したい旨の申出を受け、原告X1はこれを了承し、平成二年二月一五日右調停を取り下げた。

二  本件の争点

原告は、本件保険契約の締結は、不倫関係の継続を目的としてAが被告に財産的利益の供与をなしたものであって、右受取人の指定は公序良俗に反し無効であるから、保険金受取人の指定はなかったことになり、保険契約者であるA自身を受取人とする契約となったと解されるから、Aの死亡により、原告X1が二分の一、その余の原告らが各四分の一の割合で本件保険金請求権を相続により取得した旨主張する。

これに対し、被告は、公序良俗に反するものではない旨主張してこれを争っている。

第二争点に対する判断

一  後記認定事実中に掲記の各証拠によると、以下の事実を認めることができる。

1  原告X1は、昭和三九年一二月二八日、Aと見合い結婚し、長女X2、長男C(生後五日で死亡)、次男X3が生まれ平穏な生活を送っていた。Aは、兄の経営する有限会社箔押中山製作所に勤め、昭和六二年五月六日独立し、得意先の紙工株式会社の一部を借り、有限会社箔押中山製作所を設立し、その取締役となり、原告はその経理を担当していた。(甲二〇)

2  Aは、仕事一筋まじめで子煩悩の夫で、ゴルフを趣味としていたが、昭和五八年ころから、社交ダンスを始めるようになった。(甲二〇)

3  一方、被告は、昭和三九年一一月に〈省略〉に勤務するBと婚姻し、ともにテニスをするなど、円満で楽しい家庭生活を送っていたが、昭和六〇年春ころから、社交ダンスに通うようになった。Bは、昭和六一年ころから役所での仕事に忙殺されるようになり、連日深夜又は明け方の帰宅が続き、昭和六三年ころまでの約二年間は、ほとんど被告の面倒をみられない状態となった。(甲一七)

4  そして、昭和六一年ころからダンス教室において、Aと被告は交際するようになり、Aは、同年一二月ころからは、原告に対しても被告との交際を公然とするようになった。そして、昭和六二年に横浜に会社を設立してからは戸塚にアパートを借りてそちらに住むようになり、昭和六三年三月には被告も家を出てAと同棲するようになった。(甲一八ないし二〇)

5  原告は、再三にわたりAに家庭に戻ることを要請し、被告に対してもAと別れることを要求し、また、解決策を得意先の会社社長やAの兄に相談するなど婚姻生活の継続のため必死の努力をしていた。他方、Bも被告の家出後、被告の通う自動車学校に被告を待ち伏せするなどして被告とAとの居場所をつきとめ、夫婦関係調整の調停を申し立て、また、原告にも会ってAと被告との関係の解消のための働きかけを行っていた。(甲一八ないし二〇、甲一七)

6  Aが、被告を受取人とする生命保険契約を締結したのは昭和六三年四月二七日であり、原告及びBにおいてAと被告との関係解消に向けて必死の努力を行っている最中であった。そして、保険会社に対しては、Aは、配偶者及び子供はいるが別居中であり受取人(被告)とは離婚後結婚する予定である旨説明し、Aと被告との関係継続を前提とした契約であることを明言していた。(甲一、甲一四)

7  昭和六三年七月二二日に至り、Bの申し立てていた夫婦関係調整の調停に対し被告がこれに応じたい旨の意思の表明があり、被告とAとは今後一切交際しない旨の調停が成立した。(甲一〇)

8  ところが、被告とAの不倫関係はなおも継続しており、平成元年には原告は夫婦関係円満調停の申し立てをし、Aも原告に対し離婚調停の申し立てを行った。しかし、平成元年六月には被告はBの代理人弁護士塩川治郎の立ち会いのもと、今後Aとは交際せず、Bのもとに戻る旨の約束ができ、被告は夫のもとに戻った。他方、平成元年九月か一〇月に至りAより原告に対し会社の仕事を手伝って欲しい旨の電話があり、原告もこれを承諾し、原告とAの夫婦関係は再び元の鞘におさまった。(甲二一、乙三)

9  Aは、平成七年五月一六日、突然、水泳中にくも膜下出血を起こし、溺水を吸引して死亡した。原告は、本件生命保険契約の存在は昭和六三年ころAから聞かされて知っており、Aが原告のもとに戻ってからも、Aの口座から保険料が支払われていることを知っていたが、保険証券は金庫に保管されていたし、過去のいやな思いを呼び起こすことから、受取人の名義変更がなされているかどうかは確認しないでいた。そしてA死亡後、原告が金庫を開けてみると、本件保険証券が受取人の変更手続をしないままで残っており、Aは平成七年四月六日に東邦生命より名義変更請求書を取り寄せていたもののその手続をとらないまま急死してしまったことが判明した。従って、Aは、本件生命保険の受取人を原告に変更するつもりであったと推定される。(甲二、甲六の一ないし三、甲二一)

10  被告とBとの夫婦関係はその後落ち着きを取り戻し、平成五年には再入籍しており、生活面での不安はない。また、被告自身、本件訴訟が提起されるまで本件生命保険の存在については全く忘れていた。(乙三)

二  右認定事実によれば、本件保険契約の受取人を被告としたことは、被告とAとの不倫関係の維持継続を目的としていたものであることは明らかである。また、右保険契約時において、確かにAは被告との共同生活の継続を願い、Aの死後の被告の生活の安定を目的として締結されたという面も存するが、右保険契約締結そのものが直ちにその当時の被告の生活を保全するものであったとはいえないし、また、被告がBのもとへ戻るという可能性は本件保険契約締結当時引き続き継続しており、被告が生計をAに頼るといった状況は永続的な状況であったと認めることはできない。しかも、現実にその後の関係者の努力により不倫関係の解消といった形で解決されているのであるから、本件保険金が被告の生活を保全するという役割を果たすものでもない。

したがって、右のような事実関係のもとでは、本件保険契約中受取人を被告と指定した部分は公序良俗に反し、民法九〇条により無効とすべきであり、したがって受取人はA本人と解釈するべきであるから、本件保険金の支払請求権はAの死亡により相続人である原告X1が二分の一、原告X2及び原告X3が各四分の一の権利を有するものと認めるのが相当である。

(裁判官 鬼澤友直)

〈以下省略〉

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